「お代官様、つまらぬものですが、どうかお納めくださりませ」
「クッ、クッ、クッ…〇〇屋、お主も悪よのぉ…」
こんなくだり、よく時代劇でありましたよね。
悪徳商人と袖の下を受取って便宜を図る悪代官の会話。
さて、「お主も悪よのぉ…」といわれている悪徳商人「〇〇屋」といえば、
あなたはどのお店の屋号が頭に浮かびますか?
(↑ Atnet Japan!さんの素材をお借りしました)
時代劇で悪徳商人といえば!
そう、私は「越後屋(えちごや)」が最初に浮かびます。
というか、他の名前はなぜか全く浮かばないのは何故?
実在の、または実在した越後屋さんには大変失礼な話ですが、
それだけ有名な屋号ということでご勘弁を…。
なんといっても、あの百貨店 三越さん(三井家)の創業時の屋号ですから。
ところであなたは、
この「越後屋」が「マーケティングの元祖」といわれていることを、
ご存知でしたでしょうか?
マーケティングは、一般的には19世紀末頃、
米国の小売業で取組みが始まったとされています。
しかし、経営学者ピーター・ドラッカー氏は、
著書の中でこんなことを書いているのです。
『アジアでは、マーケティングが実行されたのは早かった。・・・
1650年頃、今日の東京に進出してデパートの原型となるものを
開店した三井家の人間によって、マーケティングは発明された。』
→詳しくは、こちら(レファレンス協同データベース)を参照
さて、江戸時代の呉服店の商い方法は、次のような形が常識でした。
◎顧客を訪問し注文を取り販売する、または商品を持参し顧客宅で販売する
◎支払は、掛け払い(盆暮れの年に2回、または年末一括)
それに対して越後屋は、
◎店先売(店頭売り)
◎現金掛値なし(現金販売)
という画期的な商いを行ったのです。
さらに当時、他の呉服店ではありえなかった
◎顧客のニーズに応えた「切り売り」「仕立て売り」
も断行したというから、恐れ入ります。
→参照:三井広報委員会「越後屋誕生と高利の新商法」
こうして越後屋は米国の商人たちよりも200年以上も前に、
巧みな「マーケティング」を展開していたというわけですね。
これはあくまで私の想像ですが、
業界に旋風を起こしたイノベーター越後屋は、
同業者からの妬み嫉みから営業妨害を受けたり、
「とんでもないワルだ。袖の下なんかもやってんじゃねぇか?」
な~んて、あらぬ噂をたてられたりすることがあったのかも…。
ともあれ、マーケティングという言葉が生まれる前から、
日本でマーケティングの取り組みがなされていたというこの事実。
日本の商人の皆さん、なんだか自信が湧いてくる気がしませんか?